Tr02 樹氷の帰り道にて~胎動するネメシス~




――帰ってくれ。治療費がなければ、面倒は見れないよ。

先程受けた拒絶の言葉を反芻する。
そこはアンジェラが知る最後の診療所だったが、
必死の嘆願もむなしく、ついに追い出されてしまった。
樹氷を縫うように吹き付けてくる風はひどく冷たい。
空は一面重苦しい雲に覆われ、はらはらと雪をちらつかせる。
そんな寒々しい世界を背負い、アンジェラは雪道を歩いていた。

ことの始まりは三日前、姉のセシリアが突然病に倒れたことである。
セシリアは麓の裏町で薬草を売って生計を得ており、
その日も商売道具をまとめて家を発とうしているところだった。
その様を笑顔で見送ろうとしたアンジェラだったが、次の瞬間、その笑顔は凍りついた。
がたん、と床を打つ衝撃音と共に、玄関先のセシリアが胸を押さえて膝をついていた。

すぐにセシリアをベットに寝かせたものの、
アンジェラはそれからどうしていいかわからなくなった。
とりあえず、アンジェラが理解できたのは、セシリアの容態が尋常でないということだった。
窓の外では、雪が降り続いているが、
セシリアの手の震えはただ寒さのせいではない。

手持ちの薬で対処できないことを悟ったアンジェラは
すぐに家を飛び出して自分の知ってる医者を尋ねてまわった。
しかし村の医者達は法外な問診費を突き付けてくるだけで、
誰もアンジェラの相手をしようとしなかった。

……金がないのは確かだ。
しかし、村の医者がそろってセシリアの診断を拒絶した理由は、
それだけがない気がする。
星空の宿る双眸。古くからの村の伝承による、災厄をもたらすしるし。
アンジェラだけが持つこの瞳を、村人達は薄気味悪がっていなかっただろうか?

そうして、医者の家々を回った末、アンジェラは成果を得ることなく帰途についた。
雪道はしんと静まりかえっていた。
氷壁と樹氷によって隔離された雪山のここでは、
麓の世界の喧騒も遠い世界のもののように思える。

その白銀のアプローチに、一人の男が倒れているのを見つけて、
アンジェラは足を止めた。




Tr06 アンジェラの自宅にて~薬売り~




思えばセシリア以外の人間と会話をしたのは久しぶりだった。
姉妹揃って、村人との交流が極端に少なかったから、
アンジェラがセシリア以外と会話をするのは、
街で食料を調達する時くらいである。
それも深いフードを被って自分の顔を隠してのことであり、
姉以外と目と目を合わせて喋った記憶はほとんどない。

机の上には、薬草の調合に用いるためのいくつもの鉢が転がっており、
男がまぶす奇妙な薬草の香りが、家全体に漂っていた。

「東方で仕入れた秘薬だよ。
 今回の流行り病に対して特効があるから、すぐに彼女の熱も冷めるはずだ」
「お姉ちゃんの病気は治るの……?」

木椅子に座り込んでうつむいていたアンジェラが、
男の台詞にふと顔をあげた。

「幸いなことに、早いうちに対処できたから、
 このまま安静にしていればすぐに良くなるだろう」
男の一言に、アンジェラは息をつく。
どうやらアンジェラが考えている以上に、男は優秀な薬師らしい。

「ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらのほうさ。君に助けてもらわなければ、
 私はあの雪原で凍死していた」
男はこともなげに嘆息した。

「先程の話の続きだが……、この村で迫害と共に生きるのは辛いだろう。
 どうかな、私と共に外の世界へ行かないかい?」

薬を調合する手を止め、男はまじまじとアンジェラの双眸を見つめた。

「君の瞳に宿る星は確かに人の恐れを呼ぶのかもしれない。
 しかしこの広い世界にはその力を必要とする人もいるだろう」
「私の力を……?」
「ああ。君の力が世の迷い子を助けることがあるかもしれないな……」

意味ありげ答えると、男は口を閉ざした。
「…………」
アンジェラは床に視線を戻した。
茜色の絨毯に、アンジェラの小さな影が映っていた。




Tr07 セルビノの麓~テュケの導き~




冷ややかな樹氷林を抜けた道は、やがて一面の銀世界へと変わっていった。
雪山では、見渡す限り針葉樹しかなかったが、外の世界では抜けるような風景が広がっている。
アンジェラは、男の提案を受け入れ、セシリアと共に下山することにした。

雪山の暮らししか知らないアンジェラにとって、外の世界で生きるのは恐怖だったが、
その気持ちが変わったのは、件(くだん)の病が原因である。

「大丈夫、お姉ちゃん?」
「ええ、身体はすっかり良くなったわ」

セシリアは先日病が治癒したばかりだが、この吹雪の中、けろりとした顔で歩いていた。
もともと英気溢れる性分である。病が折り返してからは見違えるように元気になった。
標榜とした雪原地帯はまったくといっていいほど無機質で淋しい風景だったが、
セシリアが隣を歩いてくれるだけで、アンジェラの心に温かな光が燈るのだった。

ふと、セシリアは先頭を行く男に尋ねた。
「これからどこへ向かうのですか?」
「ひとまず下山したら麓で宿をとろう。それから南へ向かうつもりだ」
「南……?」
「そこには私の同胞がいる。
 きっと君達の力になってくれるし、また君達のことを"必要"としているだろう」

――自分達姉妹を"必要"としている。
村では腫れ物を触るような目で見られていたアンジェラにとって、
斬新な言葉だった。こんな自分達を必要としてくれる人間がいることが嬉しい。
アンジェラは新しい暮らしに想いを馳せる。

吹雪がひどくなってきた。雪片が肌を打ち据えるが、
何故かアンジェラにはそれがひどく心地好く思えた。



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